降りたから言う権利ないって言われてしまったら、新規の、おそらくあなたたちの10分の1も見てない当時を知らないわたしは何も言えなくなってしまう。
だから本当に自由に言えばいいじゃん、って思う。わたしはわたしで好きに言いたいからです。
先日のスポーツ新聞のインタビュー記事に、読んでショックを受けたという呟きをいくつか目にしました。
フォローというか擁護したいのは2点。
・ロングインタビュー*1 にはあった「忍ミュ」「テニミュ」のことがばっさり省略されて「10代の頃は抵抗感しかなかった」が「帝一」をやるまでの期間ずっとと思われるような文章になっている。
実際は、事務所所属するときに提出するプロフィールから「舞台」の項目を外していただけです。三木ヱ門のときにお客さんの反応が嬉しくて、テニミュで役者としての”物心”がついたと答えているんです。初舞台の時点で面白さを知って抵抗感は無くなっているから、正確には"10代の頃は→10代の舞台を踏む前は"です。
・新聞の記事は大抵事務所チェック(事前の内容確認)は無い。
雑誌とは少し違った印象になるんですよね…新聞としては載せてやってる立場だし、対象をどう記事にするかは記者の裁量によるところが大きい。だいたいひまわりも新聞紙名間違って告知しているのをどうにかしていただきたい。帝一と木村了くんの名前は実写映画のヒットがあるからスポーツ紙的に名前を上げやすかったのはあると思います。
世に出たものがすべて、と捉えられてしまうのは仕方がないかもしれない。そもそも若手俳優のファンって誤解と妄想、幻を積み上げていくようなものかもしれない。でも当時の舞台を観て感じたことやその頃にイベントなどで発言していた彼自身を、たった一つの切り取られたスポーツ新聞で上書きしてしまうのは哀しいな、と思いました。三木ヱ門も財前もヤマトくんも本物を観たことがないわたしが言う権利は無いのでしょうけど、でもそうじゃないって言いたかった。
「2.5次元のトップランナーたち」のインタビューで、四天日替わりネタを考えていたときのエピソードも話しているんですが、財前好きな人たちに読んでほしいなと思った。というかわたしは観ていた前提でそのインタビュー読みたかった。ただの嫉妬心かもしれないです。
ちなみに、わたしが流司くんの書いた文章で一番好きなのはこれ。喪失感と寂しさと愛溢れる文章。天才じゃないですか?わたしがファンになったきっかけの一つです。
— 佐藤 流司 (@ryuji7117) September 28, 2014